バスでヘルシンキ市内へ
毎回そうですが、かなりゆったりした間隔で座れる大きめのバスで移動します。

遠くにヘルシンキ大聖堂が見えます。

バスを降りて、徒歩でテンペリアウキオ教会へ向かいます。

テンペリアウキオ教会
テンペリアウキオ教会に到着しました。

テンペリアウキオ教会(テンペリアウキオきょうかい、フィンランド語: Temppeliaukion kirkko)は、フィンランドのヘルシンキ市・トーロにある、フィンランド福音ルター派教会に属しているキリスト教会である。ティモ・スオマライネン (fi:Timo Suomalainen) とトゥオモ・スオマライネン (en:Tuomo Suomalainen) の兄弟によって設計され[1]、1969年に完成した[2]。岩の教会とも呼ばれる[3]。
テンペリアウキオ地区に教会を造る計画は1930年代から存在し、ヘルシンキ工科大学の設計を担当したヨハン・シレンの設計案に沿って建設される予定であった。しかし、第二次世界大戦が勃発し、計画は中断された。終戦後の1961年に改めてデザイン・コンペが開かれ、スオマライネン兄弟による設計案が採用されることとなった。予算の都合上、当初のプランの4分の1の大きさに縮小されてしまったものの、1968年2月に建設が完了し、1969年9月には礼拝堂の聖別が執り行われた。
教会は大岩をくりぬいた中に造られているが、上部側面にガラスがはめ込まれており、自然光が入り込むようになっていて明るい。教会内壁はくりぬいた岩盤がそのまま使われていて音響効果が優れており、しばしばコンサートホールとしても利用される。内壁は当初むき出しで残す予定はなかったが、音響学者マウリ・パリョと指揮者パーヴォ・ベルグルンドの助言により、このままの状態で使われることとなった[4]。岩には氷河時代に削られてできた模様を見ることができる。
テンペリアウキオ教会は観光地としても有名であり、年間約50万人もの人々が教会を訪れる。ヘルシンキ中心部にあり、周辺はアパートなどの住宅街である。
この教会には鐘がないが、作曲家タネリ・クーシストによって録音された鐘の音が外壁のスピーカーから流れるようになっている。
ウィキペディア(Wikipedia)





椅子の色が派手なのがちょっと意外ですが、コンサートホールとしても使われるみたいなので、納得ですね。





ヘルシンキ大聖堂&ヘルシンキ元老院広場
途中、定番のお土産屋に寄ってから、ヘルシンキ大聖堂&ヘルシンキ元老院広場へ。

ヘルシンキ大聖堂(ヘルシンキだいせいどう、フィンランド語 Helsingin tuomiokirkko)はフィンランドの首都ヘルシンキのほぼ中央にある。この大聖堂はフィンランド福音ルター派教会ヘルシンキ教区に属している。1917年のフィンランドの独立までは、フィンランド大公を務めたロシアのニコライ1世にちなんで「聖ニコラウス教会」と呼ばれていた。
ヘルシンキの中央の市街の風景の特色あるランドマークであるこの教会は1830年から1852年にかけてネオ・クラシック様式に改築された。カール・ルートヴィヒ・エンゲル(英語版)によって独自にデザインされ、彼の後継者であるエルンスト・ロールマン(英語版)によって継承された[1]。
今日最も有名なヘルシンキの観光名所である。毎年350,000人を越える人々が教会を訪れ、その中には宗教儀式に参加するものもいる。教会は通常、信仰の奉仕と結婚式のような特別なイベントに使用される。
大聖堂の屋根には12使徒の真鍮の彫刻がある。これは世界最大の真鍮彫刻の一様のコレクションである
大聖堂はしばしばヘルシンキ市全体の象徴として使用される。トゥルク市の象徴にトゥルク城が使用されたり、タンメルコスキ川(英語版)にかかるハメーンシルタ橋(英語版)がタンペレを象徴したり、あるいは木こりのろうそく橋と呼ばれる大きな橋がロヴァニエミを象徴するのと同様である。
この大聖堂が建つ前は、もっと小さな教会が同じところにあった。この教会の模倣は雪でできていたが後の2000年代に入ってヘルシンキ元老院広場が建設された。
ウィキペディア(Wikipedia)




